戦略面が整ったとして、次の問題として浮上してくるのが具体的な開発であります。
いかにきちんとした要件定義が行われ、開発環境が整ったとしても、具体的なメーキングの段階で能率が上がらなければ、一切は水泡と帰すのは自明の道理であります。
さて、この現場において最も能率に左右するのは個々の技術などよりも、いわゆる「プロジェクトリーダー」の統率力こそが鍵であると思われます。
「統率力」という漠然とした、しかし厳に存在する能力に対する評価が日本経済全体、ことにシステム開発の現場においてあまりに低いのは奇異にすら感じるほどです。
しかし企業の目的たる利潤の追求を見つめる時、前記した戦略面の充実において10%の効率化が得られ、さらにリーダーの統率力によって10%現場の士気が上がったならばどうでしょうか。たとえば100人のプロジェクトチームならば実に20名の新たな人材を雇用することに匹敵します。
これをコスト面で考えるならばPG・SEの平均単価を六十万円としても、なんと月あたり千二百万円のコストダウンになります。ならばこの逆においては当然千二百万円のコスト増、実にその差額は二千四百万円にも及ぶ膨大な開きとなります。
しかし、現状は、多くの開発チームのリーダーは、その開発環境や開発言語に長年の経験を有しているといった理由だけで選ばれており、さらに現実を見据えればただ単に開発を請け負った大手の社員であるという理由だけでリーダーとしての立場をしめていたりするのが現状であり、「人」を統率・管理する能力が甚だしく欠如している例も数多く見受けられます。
ATSにおいては、リーダーとしての教育を徹底しております。
リーダーの資質とは、自分一人の判断によって数多くの部下の動勢が左右されることへの責任感にあり、この責任感はリーダーとしての誇りによって支えられるものと判断致します。
誇り無きリーダーは、その胸に責任だけがのしかかり、結果として言い訳や甚だしきは責任転換を旨とし、部下から見れば「裸の王様」としてプロジェクト全体のガンともなりかねません。
例せばリーダーとしての威厳とはいかなるものでしょうか。卓越した技術力は部下を納得せしめ統率力の助力としては大いに力となります。しかし、これはあくまで統率力を増す武器とは成り得てもイコール統率力とはなりません。なぜならば、統率とは部下への利益を伴わなければ発揮されないものだからです。卓越した技術力が、現場の部下の抱える様々な問題への「助け」として働けば、これは大いなる統率力と成り得ます。しかし、この技術力があくまでもリーダー個人に使われ、ましてや部下の無能を見下すなどといった形に現れれば、部下にとってリーダーの技術力は刃に等しく、士気が低下することは間違いありません。
また、威厳とは態度や厳しさにあるのでしょうか。これも誤りであると考えます。なぜならば威厳とは、「さすがに上長だけのことはある」と部下が感じる心の中に芽生えるものであり、リーダー個人の一人よがりで生まれるものではないからです。身近な例をあげれば、ミスを犯したリーダーには当然部下の批判が芽生えます。しかしこの時、素直に謝りを認め改善策を打ち出すリーダーに対して、むしろ信頼を寄せる機会となれば、チームの統率は向上するきっかけとも成り得ます。
上記の例は当たり前のことであります。しかし、この当たり前のことが教育されず、部下から煙たがられ、士気を落とし、結果としてプロジェクト全体の能率を落としてしまっている姿が多く見受けられます。
いかに能力があるとはいえ、個人の能力などせいぜい二人分・三人分をこなすのがやっと、百名全員のやるきが10%あがっただけで十人分の仕事が生まれることを考えれば、統率力の有無ほどコストに響くものはないと考えるのですがいかがでしょうか。
実際にATSの考えに共鳴して頂いたソフトハウス様からの依頼により、「誇り」あるリーダーとしての教育を行った結果、プロジェクト全体の能率が大幅に改善されたとの報告が寄せられ、なによりの喜びとさせて頂いております。